阪神・森下翔太が巨人・浅野翔吾にバットを贈る:令和の野球ファンが感じる新たなスポーツマンシップ
阪神の森下翔太が試合前に巨人の浅野翔吾にバットを贈る一幕。令和の野球ファンが感じる新たなスポーツマンシップとは。

試合前の驚きの一幕
21日、甲子園球場で行われた阪神対巨人戦の試合前、阪神の森下翔太外野手(24)が巨人の浅野翔吾外野手(20)に自らと同じタイプのバットを贈る一幕があった。この行為は「敵に塩を送る」ならぬ「敵にバットを贈る」として、多くの注目を集めた。
バットがもたらした結果
浅野はそのバットを使って、0-0で迎えた四回無死一、二塁で先制のタイムリー二塁打を放ち、その後も三走として井上の遊ゴロの間にヘッドスライディングで本塁生還を果たした。浅野は「追い込まれていたが、冷静にいけた。阪神に勝ちたかった。気合が入っていました。(バットの感触は)よかったと思います。明日以降もこのバットで」とコメントした。
昔と今の違い
相手チームの選手に自らのバットや手袋などを贈ることは40年以上前からあったが、当時は周囲の視線に配慮して、関係者を通じて内密に渡すことが一般的だった。しかし、今ではそのような気配りは無用とされる空気感が漂っている。
令和の野球ファンの反応
このような行為を目の当たりにした若い野球ファンは、どのように受け取るのだろうか。昭和の時代からプロ野球を見続けている世代にとっては、違和感が拭えない光景かもしれないが、令和の時代の新たなスポーツマンシップとして捉えることもできる。
試合中のコミュニケーション
試合中も一塁や二塁に到達した選手が相手野手にペコペコと頭を下げて談笑するシーンが見受けられる。これをマナーがいいとか、スポーツマンシップだとか称賛されることに違和感を持つ人もいる。しかし、試合で相手を倒す、勝負に勝つという闘志と、コミュニケーションをうまく取ることは別物と割り切っているのかもしれない。
ファンの複雑な心境
スタンドのファンからすれば、応援する選手が相手と仲良く話している姿を見れば複雑な心境にさせられるのではないか。しかし、これもまた現代の野球の一面として受け入れる必要があるのかもしれない。