高校中退した“17 歳の日本人”がプロ野球で圧倒…当時対戦した No.1 バッターの証言「球が速すぎて途中から消える」
高校中退した 17 歳の日本人、尾崎行雄がプロ野球で圧倒的な活躍を見せ、当時対戦した No.1 バッターがその速球を証言。

高校中退した“17 歳の日本人”がプロ野球で圧倒…当時対戦した No.1 バッターの証言「球が速すぎて途中から消える」
「史上最も球が速かった投手」との呼び声が高い“怪童”尾崎行雄(東映)は、大阪・浪商時代から剛腕として知られていた。特に「高校野球史上最強チーム」のひとつと言われる 1960 年〜61 年の法政二高(神奈川)との甲子園での 3 度にわたる直接対決は、いまも球史に残る名勝負として語り継がれている。
後に V9 巨人のリードオフマンとして活躍した柴田勲が投打の主軸として君臨していた法政二高は、1960 年夏の甲子園で優勝、翌 61 年の春も制して夏春連覇。61 年夏も完成度の高い実力校として甲子園 3 連覇を目指していた。
柴田の 1 学年下だった尾崎は、浪商の若きエースとして、60 年夏、61 年春、61 年夏と、実に 3 大会連続で法政二高と激突している。
尾崎は、浪商入学と同時に頭角を現し、1 年春の岡山・琴浦高校との練習試合に 4 回 1 死から登板すると、9 回 2 死まで 16 連続奪三振。同日午後の岡山東商戦に先発して、18 奪三振完封という驚異的な投球を披露し(「甲子園怪物剛球伝説」ベースボール・マガジン社)、1 年の夏には早くもエース の座をつかんで 60 年夏の甲子園に登場した。
1 度目の対戦。尾崎は、2 回戦で法政二高の柴田と投げ合い 0-4 で敗れたが、この大会で法政二高は、1 回戦 14-3、2 回戦(浪商)4-0、準々決勝 8-0、準決勝 6-0、決勝は静岡を 3-0 という盤石の展開で初優勝している。
2 度目の対戦。尾崎が 2 年生になった 61 年春の選抜は、準々決勝で激突。この試合にも尾崎の浪商は 1-3 で敗れ、法政二高はそのまま夏春連覇を決めた。
最後となる 3 度目の対戦は、61 年夏の甲子園。2 年生・尾崎は大阪予選 50 イニング無失点という成績を引っさげて、甲子園 3 連覇を目指す法政二高と準決勝で激突。この試合は、延長 11 回の末に 4-2 で尾崎が初めて勝利し、そのまま桐蔭(和歌山)との決勝戦も 1-0 で制して浪商が優勝した。