18歳で単身渡米、ドジャースのミゲル・ロハスが語る海外挑戦の秘訣と苦難の日々
ドジャースのミゲル・ロハスが18歳で単身渡米し、メジャーリーグで成功するまでの苦難と秘訣を語る。

夢を掴むための決断
ミゲル・ロハスは18歳で母国ベネズエラを離れ、単身アメリカに渡りました。彼は16歳の時にレッズとマイナー契約を結び、2007年まで母国やドミニカ共和国のサマーリーグで腕を磨きました。ルーキーリーグにステップアップするため、18歳で単身渡米したのです。
孤独と困難
ロハスは当時を振り返り、「頼れる家族も友人もいなかった。私にはチームと同僚、知り合ったばかりの人たちしかいなかった」と語ります。モンタナ州の小さなアパートで、7人のチームメートと共同生活を送りました。「最初はキツかった」と吐露するほど、孤独と困難に直面しました。
言葉の壁
海外に挑戦する日本人の多くが苦労するのが言葉の壁です。スペイン語を母語とするロハスも今でこそ英語で難なくインタビューをこなしますが、当時は同じ壁にぶち当たりました。野球ではなんとか意思疎通を図れましたが、私生活では英語ができないことで不便を感じることが多かったのです。「海外挑戦にあたって、言語は絶対に必要だと思う」と彼は強調します。
環境への適応
言葉も文化も違う中で、これまで親が面倒を見てくれた身の回りの管理も自分でこなさなくてはなりませんでした。「落ち着かない環境で、野球に慣れるのに6か月ほどかかった」と語ります。日本の学年に当てはめると、高校を卒業したばかりの年齢です。当初はグラウンド上のことに集中することすら精一杯でした。
モチベーションと家族
それでも心が折れなかったのは、常に野望を持ち続けたからです。「野球が上手くなりたい、メジャーでプレーしたい、というモチベーションが常にあった。そしてなにより家族の存在。母国にいる家族にいい暮らしをさせてあげられるように、家族が私のことを誇りに思えるように。その気持ちがあったから、つらい数年間を乗り越えられた」と語ります。
誰かのために戦う
自分のためであり、誰かのために戦う。その想いがあると孤独でつらい日々も乗り越えられます。ロハスの場合、それが家族でした。彼の成功は、家族への思いと、絶え間ない努力の結果なのです。