長嶋茂雄氏の遺志を継ぐ:能登地震後の高校野球支援とその影響
長嶋茂雄氏が能登地震後の高校球児に贈った金属バットとその支援活動について詳しく紹介します。

2024年、能登半島地震で被災した高校球児たちに向けて、長嶋茂雄氏は石川県の50校に金属バットを3本ずつ寄贈しました。この支援は、野球界の発展に尽力した長嶋氏の遺志を象徴するものでした。
長嶋氏の支援活動
長嶋氏は2024年6月、地震で被災した石川県の球児たちを励ますため、県高野連に加盟する50校に金属バットを寄贈しました。式典では、次女の三奈氏が長嶋氏の手紙を代読し、各校の主将にバットと手紙を手渡しました。
飯田高校野球部の取り組み
地震で大きな被害を受けた石川県珠洲市の県立飯田高校野球部も、バットを受け取った1校です。部員たちは、練習や試合で大切にバットを使用しています。校舎横の練習グランドは地震で地割れが起き、数十センチの段差ができましたが、今も復旧しておらず、練習ではボールが段差にぶつかってイレギュラーするなど影響が残っています。
部員たちの声
部員の新川純冬さん(3年)は、「被災してつらい時に支援してくれた。野球人としてだけではなく、人間としても尊敬している」と感謝の気持ちを述べました。また、野球ファンの父親から長嶋氏の話をよく聞いたという宮本晴一郎さん(3年)も、「憧れの存在が亡くなって残念」と語りました。
南砺バットミュージアム
富山県南砺市の「南砺バットミュージアム」では、長嶋氏が13年に国民栄誉賞を受賞した際に贈られた金色のバットを展示しています。嶋信一館長(75)は、「一つの時代が終わった」と悲しみました。
馳浩・石川県知事のコメント
馳浩・石川県知事も、「巨人・大鵬・卵焼きの時代に生きた少年として、昭和の時代が終わったな、という印象」と語りました。
長嶋茂雄氏の支援活動は、高校球児たちに夢と希望を与え、野球界の発展に大きく貢献しました。彼の遺志は、今も多くの人々に受け継がれています。