菅野智之の軌跡:大学野球からメジャーリーグまでの挑戦
菅野智之の大学時代からメジャーリーグでの活躍までを振り返り、その投球技術とキャリアの軌跡を詳しく解説。

大学時代の覚醒
菅野智之は神奈川県相模原市に生まれ、東海大相模の高名な監督だった原貢を祖父に、巨人軍の監督を務めた原辰徳を伯父に持つというサラブレッドでした。東海大相模時代は、肩の故障などもあって甲子園に出場できませんでしたが、東海大学に進学して才能が開花しました。
全日本大学野球選手権での活躍
大学3年時の第59回全日本大学野球選手権では、準々決勝の同志社大戦で7回無安打無失点10奪三振で7回コールドの参考記録ながらノーヒットノーランを達成しました。続く準決勝の慶応大戦は9回完封17奪三振と圧倒的な力を見せました。
世界大学野球選手権大会での自己最速
同じ年に開催された第5回世界大学野球選手権大会のキューバ戦で、自己最速の157キロを記録。185センチという恵まれた体格もあって、大学屈指の本格派としてプロからも注目される存在にまで成長しました。
メジャーリーグでの挑戦
35歳にして海を渡り、いまや「オールドルーキー」としてオリオールズでエース級の活躍を見せています。菅野の強みは、ダルビッシュの「剛速球+多彩な変化球」、田中の「剛速球+切れ味鋭いスプリット」といった一目瞭然のものでなく、「投球の巧みさ」という伝わりにくいものでした。
菅野智之のキャリア
菅野智之は巨人ひとすじに12年。その間、最優秀選手賞3回(投手としては史上最多タイ)、沢村賞2回(連続年受賞は史上5人目)、最優秀防御率4回(セ・リーグ最多記録)、最多勝利4回、最高勝率2回、最多奪三振2回など、球史に燦然と輝く好成績をあげています。