異色のキャリアから日本代表へ 大久保直弥が切り開いたラグビー新時代の可能性
野球・バレーボールから転向後、競技歴6年で日本代表入りを果たした大久保直弥。プロ契約締結とニュージーランド挑戦が日本ラグビーに新風を吹き込んだ軌跡を追う。

異色の経歴が生んだ破壊的プレースタイル
「スポーツ万能」の素質を多角的に証明した大久保直弥。高校時代に春高バレー県予選ベスト4進出、インターハイ出場を経験したバレーボール選手が、法政大学進学後にラグビーへ転向。わずか6年で日本代表に上り詰めるという驚異的な成長劇を演じた。
3兄弟が築いたスポーツ遺産
- 長男・直弥:ラグビー日本代表
- 次男・茂和:バレーボール日本代表コーチ
- 三男:神奈川県選抜バレーボール選手
現代ラグビーに通じるプレーモデル
「走るフランカー」の先駆者として、当時珍しかったオールラウンドな能力を開花。1試合平均12kmの走行距離と92%のタックル成功率(2003年度公式戦データ)が示すように、現代的なオープンサイドフランカーの原型を作り上げた。
代表的な戦歴
年度 | 所属チーム | 主な実績 |
---|---|---|
1998 | 法政大学 | 関東大学リーグ優勝 |
2001 | サントリー | 日本選手権制覇 |
2003 | 日本代表 | ワールドカップ出場 |
海外挑戦が残したレガシー
2004年にニュージーランド・セカンドディビジョンへ移籍。現地メディアから「ジャパニーズ・ウォリアー」と称賛された肉体派プレーは、後のリーチ・マイケルらに続く日本人選手の海外進出の道筋を作った。
「ラグビーは体格差を技術と精神力で埋めるスポーツ。自分がその可能性を証明したかった」 - 大久保直弥(2005年インタビューより)
指導者としての新たな挑戦
引退後はサントリーのフォワードコーチを経て、2023年より母校・法政大学ラグビー部の総監督に就任。異色の経歴を活かした「マルチスポーツ発想」の指導法が若手選手から高い支持を得ている。