プロレス界と野球界の絆:長嶋茂雄とレジェンドレスラーの物語
長嶋茂雄とプロレス界の深い絆を振り返る。巨人入団後の最初のキャッチボール相手はレジェンドレスラーだった。

プロレス界と野球界の絆
長嶋茂雄は、野球界だけでなくプロレス界とも深い絆を持っていた。特に、巨人入団後の最初のキャッチボール相手は、誰もが知るレジェンドレスラーだった。この事実は、野球とプロレスの意外な結びつきを示している。
長嶋茂雄と力道山
長嶋茂雄は、力道山期のプロレスの熱心な視聴者だった。立教大学野球部時代、寮や新宿の街頭テレビでプロレスを観戦していた。1958年にプロデビューすると、力道山とは知己になり、63年におこなわれた力道山の披露宴にも出席している。
ジャイアント馬場との交流
読売巨人軍入団後、最初のキャッチボール相手が、馬場正平投手、つまり、後のジャイアント馬場だったことも有名だ。馬場の死が報じられた1999年2月2日には報道機関から直撃を受け、こう語っている。
「私にとっては馬場ちゃんは、やっぱりジャイアンツの選手のイメージ」
新日本プロレスとの関係
次にプロレス界で仲良くなったのが、新日本プロレスの面々だった。団体の道場が、巨人の多摩川グラウンドの近くだったこともある。特にひょうきんな中堅選手、ドン荒川とは親しくしていた。
闘魂三銃士との会食
1986年11月12日には、横浜中華街に今もある名店「天外天」にて坂口征二、藤波辰爾や、前述の闘魂三銃士も含めて会食している。同店の看板文字は、ミスター自ら書いたものを造形化したもので、ミスター信者なら訪れたいものだ。
長嶋茂雄とプロレス界の絆は、野球とプロレスの意外な結びつきを示すエピソードとして、今も語り継がれている。