最速 157 キロ右腕・堀越啓太、悲劇の悪送球を乗り越えて
大学 3 年目の昨年は大きなターニングポイントになった堀越啓太。圧巻の投球と悲劇の悪送球、ライバルの台頭……。目まぐるしい 1 年を終え、確かな手応えをつかんだ。

堀越啓太の激動の 1 年
昨年 10 月 6 日。東北福祉大は仙台六大学野球秋季リーグの東北学院大学戦で、タイブレークの延長十二回までもつれる死闘を制した。九回まで 1-1 と両者譲らず、タイブレークに突入した十回、マウンドに上がったのが堀越だった。
堀越は十回こそ暴投や野選が絡んで 2 点を失ったものの、十一回は 1 死満塁から連続三振に仕留め、十二回も無失点に抑えてその裏のサヨナラ勝利を呼び込んだ。4 奪三振で被安打はゼロ。この日投じた 40 球のうち、暴投になったフォーク以外の 39 球はすべて真っすぐで、うち 9 割以上が 150 キロを超えた。
「常にあの形を模索していました。フォームの力感を抜いたら球が抜けてしまったり、コントロールを意識しすぎると逆に悪くなったりと、今までは試合の中で何か一つうまくいかないことがあったんですけど、それらが一気にハマる感覚をつかんだのが、学院大戦の試合中でした」
39 球の直球はどれも豪速球に見えたが、本人いわく「7 割くらいの力感で投げた」。堀越は「うまく力が抜けた状態で 150 キロ中盤が出て、バットに当たらないストレートを投げたいところに投げることができた。10 割で投げてもあまり球速が変わらない上に球質が落ちることもあるので、それであれば軽く投げた方がいい」と肌で感じ、その感覚をブルペンでの投球練習から体に染みこませてきた。
悔しさを成長につなげた三塁への悪送球
東北学院大戦から 1 週間後の仙台大学戦でも快投は続いた。1 戦目は七回から 3 イニングを投げ、走者を一人も出さずに打者 9 人で抑えるパーフェクト投球。6 者連続を含む 7 奪三振と相手打線を完璧に封じ込んだ。この日は 24 球の直球すべてが 150 キロを超え、最速 155 キロを 4 度計測。一方、スライダー、フォークなどの変化球も 16 球投じ、投球の幅を見せつけた。
翌日の 2 戦目も六回から継投し、九回まで被安打 1、無失点と「無双状態」を継続。しかし同点で迎えたタイブレークの十回、悲劇が訪れる。無死一、二塁の場面で仙台大の先頭打者が犠打を試み、高くバウンドした打球は堀越の前へ。堀越は二塁走者の進塁を阻むために三塁送球を選択したが、それたボールは三塁手のグラブに収まらず、ファウルゾーンに転がり、その間に相手走者が生還した。
仙台大のサヨナラ勝利、そしてリーグ優勝が決まった瞬間、堀越は泣き崩れ、しばらく起き上がることができなかった。仲間に抱きかかえられて整列に並んだ際も、涙は止まらなかった。「あの瞬間は今までで一番集中していたので、すぐには頭の整理ができず、理解が追いつかなかった。試合後のあいさつが終わって、少しずつ『やらかしてしまった』という感覚になりました」。堀越はそう言葉を振り絞る。
ただ、落ち込んだのは当日だけ。翌日には自身のプレーを冷静に分析した。三塁送球は「三塁走者のスタートが良く、内野ゴロで 1 点を取ってくる」仙台大野手陣の特徴を鑑みた上での選択。一瞬でできる最善の選択だったと思い直す一方、「あの日の投球内容だったら、走者が三塁に進んでも一つアウトを取れていれば、次の回に持ち込めたのではないか」という考えも浮かんできた。
その後の練習試合では、秋に得た感覚を確かめながら投げた。「大勢の人に見られる中だと緊張感が出て(悪送球のプレーが)よみがえる不安があった」という 12 月の大学日本代表候補合宿でのシートノックでも、問題なくボールを操れることを確認した。過去から目をそらさずに向き合ったからこそ、堀越は「悔しい経験を次にどう生かすか、考えながら生活している。メンタル面も含めて成長できています」と胸を張る。