大相撲の稽古の裏側:曙の二子山部屋出稽古のドラマ
曙が二子山部屋に出稽古し、横綱としての意地を見せた感動のエピソードを紹介。大相撲の稽古の裏側に迫る。

曙の二子山部屋出稽古
平成5年初場所8日目、平幕の若花田(のち若ノ花、横綱若乃花)に寄り切られる大関曙。二子山勢には何度も痛い目にあわされていました。曙のライバル、壁といえば、貴乃花をリーダーとする若乃花、貴ノ浪、安芸乃島(現高田川親方)らの二子山軍団です。2メートルを超える長身、200キロを超える大きな体から繰り出す突き押しは無類の破壊力を誇りましたが、何と言っても多勢に無勢。二子山勢に足元をすくわれ、苦渋を飲まされることも少なくありませんでした。
出稽古の決断
横綱になって2場所目、平成5(1993)年夏場所も、初日から12連勝しながら13日目に関脇若ノ花(のち横綱若乃花)に叩き込まれ、千秋楽、大関貴ノ花(のち横綱貴乃花)との賜盃を懸けた相星決戦にも敗れて優勝を逃しています。どうしたらこの二子山包囲網を打ち破ることができるのか。次の場所に備えて名古屋入りして2日目の夜、師匠の東関親方(元関脇高見山)は思い悩む愛弟子にこうアドバイスしました。
「二子山勢にお返しするには、二子山部屋に出稽古するのが一番だよ。ホントにやる気があるんだったら、二子山部屋に行って若貴の胸を借りなさい」
曙の挑戦
それから2日後の朝、曙は敵の本陣の二子山部屋に乗り込み、貴乃花と17番取って12勝5敗と圧倒しています。この曙の二子山詣では2日間で終わりました。もし曙に“琴風詣で”を続けた千代の富士の執念があったら、大相撲史は違ったものになっていたに違いありません。
出稽古の効果
この出稽古効果はさっそくその場所の千秋楽に表れました。またしても貴ノ花に敗れ、貴ノ花、若ノ花との三つ巴戦にもつれ込みましたが、ここから曙は横綱の意地を発揮。まず若ノ花を一気に押し倒し、さらに貴ノ花を寄り倒して、横綱になってからは初めてとなる賜盃をものにしました。難産でしたが、見事に前場所の雪辱を晴らした曙は、こう言って喜びを噛み締めています。
「この2カ月間、ずっとこの日がやってくることを思って頑張ってきた。これでやっと苦労が報われた。横綱が2場所も続けて逆転されてはいけないもんね」
人生のドラマ
しかし、この曙の笑顔も長くは続きませんでした。このわずか3日後、誰よりもこの横綱初優勝を喜んだ父親のランドルフさんが入院先のハワイの病院で亡くなりました。人生はまさに有為転変、ドラマに満ちています。