丹羽大輝の不屈の精神:スペイン4部リーグでの挑戦と勝利
元日本代表DF丹羽大輝がスペイン4部リーグでリーグ優勝を果たした感動のストーリー。移籍を選ばず、1%の可能性を信じて戦い続けたその理由とは。

丹羽大輝のスペインでの挑戦
2024-2025年シーズン、元日本代表DF丹羽大輝はスペイン4部相当のアレナス・ゲチョでリーグ優勝を果たしました。自身の出場はわずか5試合でしたが、「最高の1年でした」と振り返ります。日本ではG大阪、徳島、大宮、福岡、広島、FC東京でプレーし、新たな挑戦を求めてスペインに渡った丹羽。4年目にして直面したのは、サッカー人生初の“戦力外扱い”でした。
監督からの移籍勧告
スペインでの4シーズン目、丹羽は在籍2年目となるアレナス・ゲチョで、サッカー人生初の困難に直面しました。それを痛感したのが、イバイ・ゴメス監督の言葉でした。「キャンプが終わった時点で、はっきりと言われました。(試合に)使うことはできない。大輝のキャリアを考えても、移籍した方がいい、と」
移籍を選ばなかった理由
G大阪でプロキャリアをスタートし、Jリーグで5クラブ、スペインで2クラブを渡り歩いてきた丹羽。長いキャリアの中で、出場機会を失ったことは今回が初めてではありませんでした。ただ、自身が試合に出ようが出まいが、常にポジティブなエネルギーをチームに与える振る舞いを続けてきました。そんな選手を重宝しない監督はいません。それはJリーグでも、スペインに渡っても変わりませんでした。
「海外では契約の問題やクラブは早くその選手を放出したい、または監督とうまくいっていない、人間的にも練習態度が悪い、とかの理由で、蚊帳の外になって練習もさせてもらえない、という状況もある、とはよく聞いていました。ただ、まさか自分がそういう状況に身を置くとは思っていませんでした。だからすごく不思議な感覚になりましたね」
1%の可能性を信じて
当然、ゴメス監督からの“移籍の勧め”には戸惑いもありました。さらに、周囲にはざわつきが生まれます。昨季までレギュラーとしてプレーしていた丹羽が、ベンチにも入っていない状況は、すぐに他クラブの耳にも入りました。他クラブからのコンタクトもありました。当然、移籍という選択肢も考えました。しかし答えは出ました。
「ここは僕にとって大きなポイントだった。まだ、自分自身のことを何も知ってもらっていない。ここで移籍は違うなと。もっと知ってもらえたら、絶対に評価は変わる。監督が僕のことをどう思っていたかはわからなかったけど、きっと思っているような選手じゃないですよ、って証明したかった。あとは、僕のことを否定されるのは受け入れられる。でも今回の件は、僕を否定するだけじゃなくて、僕が今まで携わってもらった指導者、親、自分の人間性を形成してくれた人たちも否定される気がした。だから、僕は残ります、と。勝手に自分の周りの人たちの思いも背負って、シーズンをスタートした感じでしたね」
毎日の練習を試合と捉える
シーズンが始まっても、状況は変化しませんでした。ベンチ外が続く日々。練習でも、満足にプレーはできませんでした。当然、悔しさは募ります。それでも、これまで感じたことがない感情がわき上がってきたことも事実でした。
「この経験も、プラスになるんじゃないか、と思っちゃったんですよね。将来、自分が指導者などのキャリアを歩む時に。本当の意味で現役生活の中で、構想外の状況に身を置かれた選手の気持ちって、経験しないと絶対わからない。初めての感情に、ちょっとワクワクしている自分もいた。普通なら、99パーセントの選手が移籍する、という状況。でもその1パーセントから変えてやると」
絶体絶命の状況を変えるには、普通のアプローチでは足りません。そんな中で丹羽が選んだのが、「毎日の練習を試合と捉える」という考えでした。試合に出ていたシーズンでも、練習には100パーセントで臨んでいました。しかし、やはり試合に向けてのコンディション調整、という意味合いはあります。しかし、今は試合に出られません。
「だから僕にとっては、毎日の練習が試合でした。そのために全力で準備して。試合から試合に向けた中日の練習が、僕の中での試合になった。とことんやりつくしました、ハイパフォーマンスを出せるように。今までは週に1回の試合に向けて準備していたものが、逆に試合日とオフの日を除いた5日間になりました。負担は大きかったけど、やりきりました」
状況の変化
矢印をすべて自分に向け、すべてを捧げ、現状を変えようと戦い続けた丹羽。それでもシーズン半ば、12月にはゴメス監督からボイスメッセージが届きました。「スペインではボイスメッセージでやりとりをよくするんです。監督からは、ここのチームが大輝に興味を持っているから、話を聞いてみたらどうだ? というような内容でした。監督もまっすぐな人。僕のことを思って、というところもあったと思います」と語ります。このころ、チームは好調を維持。当然、勝っているチームはメンバーを変えないのがセオリーです。半年以上が経過しても、状況は変わらないように見えました。しかし、少しずつ事態は動き始めていました。