権藤博氏が語る侍ジャパンと横浜監督時代の秘話「kill or be killed」
元横浜監督の権藤博氏が侍ジャパンと横浜監督時代の秘話を語る。選手たちに伝えた「kill or be killed」のメッセージとは?

元横浜(現DeNA)監督の権藤博氏(86)が19日、東京・千代田区の日本記者クラブで「戦後80年を問う」と題し、会見を行いました。権藤氏は現役時代に中日でプレーし、プロ1年目から35勝をマーク。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、新人王、沢村賞などのタイトルを獲得しました。
監督としては98年に横浜をリーグ優勝、日本一に導き、17年のWBCでは侍ジャパンで投手コーチを務めました。会見では、横浜で監督を務めた時のエピソードも語りました。
権藤氏は「いろんな監督に仕えたので、監督になったらこれだけはやっちゃいかんという『べからず集』がいっぱいあったもんですから、監督になったら『べからず集』だけは守ると。自分がああやろう、こうやろうというのは全く考えなかったです。やるのは選手だと。それだけはいつも頭の中にありましたから」と回想し、開幕前に行った“儀式”を語りました。
開幕1軍スタートの投手陣に「今日から、この13人で戦うと。ボールに『kill or be killed』と書いて渡した。やるかやられるか。試合は勝負だと」とボールを渡したことを明かしました。「みんな、ミーティングとかはいいかげんなんですけど、あのボールだけはずっとみんな持ってくれてましたね。佐々木もメジャー行って、帰ってきてもバッグの中に入ってましたし、斎藤隆もずっとそのボールが入ってました」と笑顔で話しました。
権藤氏の指導哲学と選手たちへの熱いメッセージは、今もなお多くの選手たちに影響を与え続けています。