井原正巳のJリーグ物語:DFとしての転機とその後のキャリア
井原正巳がDFとしてのキャリアをスタートさせたきっかけと、その後のJリーグでの活躍を振り返る。

井原正巳のDF転向のきっかけ
井原正巳がDFとしてのキャリアをスタートさせたのは、1980年代のユース代表合宿での出来事でした。当時、FWやMFとしてプレーしていた井原は、突然の指示でCB(センターバック)を務めることになりました。これは、同僚の小泉淳嗣がトイレに行ったため、代役として指名されたものでした。
DFとしての適性と成長
FWの動きを理解していた井原は、DFとしても優れた読みの良さを発揮しました。ボールを奪う際の充実感から、「DFも面白いな」と感じるようになりました。松本育夫監督も井原の読みの良さに注目し、彼にCBとしてのキャリアを歩むことを勧めました。
Jリーグでの活躍
その後、井原は筑波大学を経て日産(現横浜F・マリノス)に入団し、Jリーグでのキャリアをスタートさせました。彼は「アジアの壁」と呼ばれるほど強固なDFとして活躍し、日本代表としても122試合に出場しました。特に、1998年のフランスW杯では主将を務め、日本サッカーの歴史に名を刻みました。
引退後のキャリア
現役引退後は、北京五輪代表コーチや柏レイソルの監督などを務め、現在は解説者として活躍しています。また、2025年6月にはU-20Jリーグ選抜の監督も務め、7月からは韓国2部・水原のコーチに就任しました。
井原正巳のDFとしての転機は、偶然の出来事から始まりましたが、その後の努力と才能で日本サッカー界に大きな影響を与えました。